お笑いコンビ「エバース」の佐々木隆史さんは、古川学園の野球部主将として活躍した異色の経歴を持ちます。彼の野球経験は、その後のお笑いキャリアにも大きな影響を与えています。本記事では、佐々木さんの学生時代から現在に至るまでの歩みを辿り、その成功の秘訣に迫ります。
古川学園高校時代:野球部主将としての活躍
古川学園高校とは
古川学園高等学校は、宮城県に位置する私立高校で、特に部活動が盛んな学校として知られています。特筆すべきは、女子バレーボール部が全国的な強豪校として名を馳せている点です。しかし、野球部もまた県内では強豪とされ、その活動は注目を集めています。
同校は以下の4つのコースを設置しており、生徒の目指す進路に合わせた学びを提供しています。
- 進学コース:偏差値56 – 大学進学を目指す学力向上を重視したコース。
- 創志コース:偏差値52 – 自分の特技や興味を深める学習を推奨するコース。
- 総合コース:偏差値42 – 基礎的な学びを中心に、幅広い進路に対応できるコース。
- 情報ビジネスコース:偏差値39 – ビジネスや情報技術に関する基礎を学ぶコース。
佐々木さんがどのコースに在籍していたかは明確ではありませんが、インタビューで「勉強は一切しなかった」と語っていることから、総合コースか情報ビジネスコースのいずれかに所属していた可能性が高いです。
野球部でのリーダーシップ
高校時代、佐々木さんは古川学園高校の硬式野球部でキャプテンを務め、チームを牽引していました。野球部は県内でも強豪とされ、その練習量や内容は非常に厳しかったといいます。
彼の本職はピッチャーでしたが、ポジション争いが激しく、主に外野手として試合に出場することが多かったそうです。しかし、彼はそこで腐ることなく、自分の役割を全うしました。特に足の速さを活かしたプレーが評価され、打順は主に2番を任されることが多かったです。特にセーフティーバントが得意で、試合でも何度もチャンスを作る場面を見せました。
練習についても彼は語っています。「レフトとライトのポール間を何十本も走らされて、吐き気を催すほどの過酷な練習だった」と述べています。これだけの厳しい練習を乗り越えてきた経験が、彼の強いメンタルとリーダーシップを育んだのです。
菊池雄星選手との対戦経験
また、彼の高校時代の大きな思い出の一つとして「花巻東高校の菊池雄星選手との対戦」が挙げられます。菊池雄星選手といえば、その後プロ野球を経てMLB選手としても活躍している大スターです。
対戦した時のことを彼は「本当に凄いピッチャーだった。球速もコントロールも圧倒的で、今でも鮮明に覚えている。」と語っています。高校野球の場で、後に世界で活躍する選手と対戦できたことは、彼にとって大きな刺激となり、かけがえのない経験となったことでしょう。
東北工業大学時代:野球からお笑いへの転身
大学での野球生活
高校卒業後、佐々木さんは東北工業大学のライフデザイン学部生活デザイン学科に進学しました。彼は野球の推薦で入学し、硬式野球部に所属していました。
しかし、大学での野球生活は彼にとって思うようなものではありませんでした。練習の厳しさや、試合に出る機会が少なかったことが影響し、次第に野球部の活動から遠のいてしまったのです。やがて、ほとんど練習にも顔を出さない幽霊部員となってしまいました。
大学時代の野球について彼は「続けたい気持ちはあったけど、どうしても気持ちがついていかなかった。やりたくないと思ったら体が動かなかった。」と語っています。スポーツに打ち込む気持ちを失った彼は、この時期に次第に新しい道を模索し始めることとなります。
彼の高校時代と大学時代の野球経験は、後に彼が選ぶことになる「お笑い」の世界へと大きな影響を与えていくことになります。
お笑いへの目覚め
大学時代、佐々木さんはお笑い芸人のラジオ番組に熱中し、特にダイアンさんに憧れていました。就職活動の最中も「ダルくて」と感じることが多く、将来に対するモチベーションを見出せずにいました。そんな中で唯一の楽しみが、お笑いラジオを聞くことだったのです。日々の楽しみが次第に自分の夢へと変わり、「自分も人を笑わせたい」という思いが強くなっていきました。
結果的に、佐々木さんは就職活動を続けることをやめ、お笑いの道に進むことを決意しました。そして、その第一歩として吉本総合芸能学院(NSC)東京校に入学することを決めたのです。この選択は彼にとって大きな転機となり、その後の人生を大きく変えることになりました。
エバース結成とコンビ名の由来
コンビ結成の経緯
佐々木さんは、NSC東京校21期生として入学しました。しかし、在学中に組んでいたコンビは思うように結果を出せず、最終的に解散することになりました。その際、解散を申し出た相方が「一緒に組んでみたらどうか」と紹介してくれたのが町田和樹さんでした。
互いのセンスや価値観を確認し合う中で、「一緒にやってみよう」と意気投合し、エバースを結成することとなりました。異なる個性を持つ二人が、共通の目標に向かってスタートを切った瞬間でした。
コンビ名の由来
コンビ名であるエバースは、野球用語の「エバース」から取られています。この言葉は、バントの構えからバットを引いて投球を見送る動作を指すもので、野球経験者である佐々木さんらしいネーミングです。
「一度構えたものの、それを見送る。柔軟な発想や考え方を大切にしたい」という思いも込められており、コンビ名には深い意味が含まれています。このネーミングは、彼らの芸風にも通じるものがあり、自由な発想で笑いを生み出すスタイルを象徴しています。
野球経験がお笑いに与えた影響
ネタ作りへの影響
佐々木さんの野球経験は、エバースの漫才ネタにも色濃く反映されています。たとえば、野球の試合中に起こるハプニングや、監督と選手のやり取りをネタにしたコントなど、リアリティのあるエピソードを笑いに昇華することが得意です。さらに、スポーツマンシップをテーマにしたネタもあり、「真剣にやっているからこそ面白い」という独自の視点を活かしたスタイルを確立しています。
また、野球にまつわる言葉遊びや、試合中のシチュエーションを取り入れたコントなど、幅広いバリエーションを持つことがエバースの強みとなっています。特に、野球ファンにとっては共感できる内容が多く、彼らのネタにはリピートするファンも少なくありません。
チームワークとリーダーシップ
佐々木さんは、かつて野球部のキャプテンを務めた経験があります。この時に培ったリーダーシップやチームワークの重要性は、エバースとして活動する中でも大いに役立っています。
特に、ネタ作りや舞台でのコンビネーションにおいては、互いの役割を明確にしながら信頼関係を築く力が重要です。佐々木さんは自分の意見をしっかり伝えるだけでなく、町田さんのアイデアを尊重しながら取り入れることを心がけています。
また、エバースの活動においては、お互いの得意分野を活かしつつ新しい笑いを生み出す柔軟さが求められます。佐々木さんが野球を通じて培ったチームワークの精神は、エバースとしての成長にも欠かせない要素となっています。
まとめ:エバース佐々木隆史の成功の秘訣
佐々木隆史さんは、古川学園高校の野球部主将としての経験や、東北工業大学での挫折と新しい挑戦を経て、お笑いの世界で成功を収めました。野球で培ったリーダーシップと忍耐力、そして仲間との信頼関係は、彼の漫才スタイルやコンビ活動に色濃く反映されています。
彼のエピソードから学べることは、過去の経験をどのように自分の強みに変えるかという点です。これからもエバースとしての活躍が期待される佐々木隆史さん。彼の挑戦はまだまだ続きます。
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